名城大学
名城大学(めいじょうだいがく、Meijo University)は、愛知県名古屋市天白区と岐阜県可児市にキャンパスを持つ私立大学。1949年名城大学開学。
名城大学天白キャンパス正門8学部・22学科、在学生15,687人を擁している、中部圏最大の総合大学。
理工学部にカーボンナノチューブでCOEをとり、ノーベル賞候補とも言われる飯島澄男教授がいる。 高校3年を飛び越す飛び級を実施している。
また、平成16年度から法務研究科(法科大学院)を設立。
独立研究科である大学院総合学術研究科を設置しており、木村捨雄教授が設置時に大きく関わっている。
平成17年に3階に模擬法廷室、地下1階に学生実験室、自習室、学生食堂を備えた 北共通講義棟が完成した。
名古屋市中村区には附属高校を持つ。
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1 沿革
2 キャンパス
3 著名な出身者
4 交通アクセス
5 外部リンク
沿革
1926年 田中壽一により、名古屋高等理工科講習所として開校
1928年 名古屋高等理工科学校として愛知県知事により認可
1945年 財団法人名古屋高等理工科学園として認可
1947年 (旧制)名古屋専門学校を設立
1948年 名古屋専門学校の新制移行に伴い、応用物理学科・数学科・法政科・商科を増設。これが後の大学組織の原型となる
1949年 名城大学設置が認可。このときは商学部第一部・第二部のみ
1950年 法商学部・理工学部・農学部を増設、また短期大学部を設置
1951年 財団法人名古屋高等理工科学園を学校法人名城大学に組織変更
1953年 学校経営の不透明さと施設の貧弱さに抗議する学生運動が勃発。以後、学生・教職員・理事会と三つ巴の10年間にわたる泥沼の紛争に突入する(実態としては理事会の内部抗争であった)
1954年 薬学部を増設
1959年 学園紛争について国会に「学校法人名城大学の機能停止に関し国会の国政調査権発動要請についての陳情書」が提出され、名城大学の学園紛争解決は国会および文部省(当時)の手に委ねられる
1960年 田中壽一死去
1962年 「学校法人紛争の調停等に関する法律」が施行。名城大学の学園紛争解決のためだけの2年間の時限立法であった
1963年 法に基づく調停が成立、学園紛争終結
1964年 大学再建のための新体制理事会が発足
1967年 法商学部を廃止、法学部・商学部を増設
1995年 都市情報学部を岐阜県可児市に開設
2000年 商学部を経営学部と経済学部に分離(経営学部と経済学部を開設し、商学部は募集停止)
2003年 人間学部を開設
キャンパス
天白キャンパス(名古屋市天白区塩釜口)
法学部
法学科
応用実務法学科
経営学部
経営学科
国際経営学科
経済学部
経済学科
産業社会学科
理工学部
数学科
情報工学科
電気電子工学科
材料機能工学科、
機械システム工学科
交通科学科
建設システム工学科
環境創造学科
建築学科
農学部
生物資源学科
応用生物化学科
生物環境科学科(2005年度4月開設)
人間学部
人間学科
八事キャンパス(名古屋市天白区八事山)
薬学部
医療薬学科
薬学科
可児キャンパス(岐阜県可児市虹ヶ丘)
都市情報学部
都市情報学科
附属農場(春日井市鷹木町)
附属高等学校(名古屋市中村区新富町)
著名な出身者
小塚逸夫 - フタバ産業社長
英智(蔵本英智) -中日ドラゴンズ外野手
鎌田圭司 -中日ドラゴンズ内野手
いんぐりもんぐり - 音楽バンド
佐藤嘉洋 - キックボクシング
ぢたま某 - 漫画家
交通アクセス
天白キャンパス
名古屋市営地下鉄鶴舞線 塩釜口駅下車、徒歩約8分
八事キャンパス
名古屋市営地下鉄鶴舞線 八事駅下車、徒歩約5分
可児キャンパス
名古屋鉄道名鉄名古屋駅から犬山線 犬山駅経由、広見線西可児駅下車、徒歩約15分